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2024/04/10

目にまつわる記憶

遠近両用メガネを新調するまでに

眼科受診し眼底検査や網膜の断面も診て頂いて

若干白内障が始まっているという指摘を受けつつ

およそ15年ぶりにコンタクトレンズの度を補正ました。

その間、M先生とのやり取りで

私のバックボーン(幼少期に弱視で、斜視の手術をしたことなど)を

知らない先生が「あなたは、弱視ではありませんよ」とおっしゃって

私は(左目は弱視だからと諦めていた)思い込みから

ようやく解き放たれました。

左目の視力を上げる試みはこれまでもあったのですが

複視が気になって、頭痛やめまいが起こるので

あえて、左目は見えないまま放置してきたのです。

 

それが、今回、両眼の視力を調整した遠近両用メガネと

乱視用コンタクトを新調して、生活してみると視界が広がり

目に映るものがクリアで、すっきり見えるようになったのです。

心配していた複視は気にならず安心しました。

 

眼科受診の記憶は、幼少期(3,4才の頃)にさかのぼります。

両親が「どうも左目が見えていないようだ」と気づいて

近所のH眼科に受診し、H先生の紹介で、二か所の大学病院へ行き

弱視の訓練をしたり、小学生以降は一人で眼科通院していました。

女性のH先生との思い出は、(先生の趣味が絵画を描くこと)

診察が終わったあと、私をモチーフにデッサンして下さったこともありました。

おそらく母が迎えに来る時間まで、

診察室でおしゃべりしながら時間を過ごした覚えがあります。

昭和ならではのほっこりした思い出でです。

 

左目の弱視が判明した頃、父が言った言葉が忘れられません。

「医学が進歩して、お父さんの目を移植できるのならしてあげたい」と。

その言葉が、妙にグロテスクに感じて「やだよ~」なんて

言っていましたが、親になってみて、私も同じ立場なら

きっと同じように言うでしょう。

そんな言葉(愛情)の記憶が、父の思い出とともに蘇ってきました。

 

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