目にまつわる記憶
遠近両用メガネを新調するまでに
眼科受診し眼底検査や網膜の断面も診て頂いて
若干白内障が始まっているという指摘を受けつつ
およそ15年ぶりにコンタクトレンズの度を補正ました。
その間、M先生とのやり取りで
私のバックボーン(幼少期に弱視で、斜視の手術をしたことなど)を
知らない先生が「あなたは、弱視ではありませんよ」とおっしゃって
私は(左目は弱視だからと諦めていた)思い込みから
ようやく解き放たれました。
左目の視力を上げる試みはこれまでもあったのですが
複視が気になって、頭痛やめまいが起こるので
あえて、左目は見えないまま放置してきたのです。
それが、今回、両眼の視力を調整した遠近両用メガネと
乱視用コンタクトを新調して、生活してみると視界が広がり
目に映るものがクリアで、すっきり見えるようになったのです。
心配していた複視は気にならず安心しました。
眼科受診の記憶は、幼少期(3,4才の頃)にさかのぼります。
両親が「どうも左目が見えていないようだ」と気づいて
近所のH眼科に受診し、H先生の紹介で、二か所の大学病院へ行き
弱視の訓練をしたり、小学生以降は一人で眼科通院していました。
女性のH先生との思い出は、(先生の趣味が絵画を描くこと)
診察が終わったあと、私をモチーフにデッサンして下さったこともありました。
おそらく母が迎えに来る時間まで、
診察室でおしゃべりしながら時間を過ごした覚えがあります。
昭和ならではのほっこりした思い出でです。
左目の弱視が判明した頃、父が言った言葉が忘れられません。
「医学が進歩して、お父さんの目を移植できるのならしてあげたい」と。
その言葉が、妙にグロテスクに感じて「やだよ~」なんて
言っていましたが、親になってみて、私も同じ立場なら
きっと同じように言うでしょう。
そんな言葉(愛情)の記憶が、父の思い出とともに蘇ってきました。
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