2024/04/23

天国からの宅急便

父が他界して、実家に私の休眠口座を知らせるはがきが届きました。

叔母がそのはがきを私に送ってくれて

先日、その通知と必要書類を持って銀行へ行ってきました。

無事に口座を解約し、予期せぬお小遣いを頂きました。

身に覚えがないので、きっと母か父が開設してくれたのでしょう。

 

そして、先週、家庭裁判所から、

父の遺言書が保管してある旨の通知が届きました。

久しぶりに見る父の直筆の文字・・・

一生懸命に書いたと思われる文字・・・

認知症と診断される前(4年前)に、作成された遺言書の

付言事項に添えられたメッセージが

父らしくシンプルで、胸がいっぱいになりました。

 

いろいろあったけど、今頃、母と再会して

仲良くやっているといいなぁ。

 

遺言書の役割について、今度は自分事として

考えるようになりました。

遺された子どもたちへ贈りたい言葉・・・

クスっと笑えるのもいいかもね♪

 

 

2024/04/10

目にまつわる記憶

遠近両用メガネを新調するまでに

眼科受診し眼底検査や網膜の断面も診て頂いて

若干白内障が始まっているという指摘を受けつつ

およそ15年ぶりにコンタクトレンズの度を補正ました。

その間、M先生とのやり取りで

私のバックボーン(幼少期に弱視で、斜視の手術をしたことなど)を

知らない先生が「あなたは、弱視ではありませんよ」とおっしゃって

私は(左目は弱視だからと諦めていた)思い込みから

ようやく解き放たれました。

左目の視力を上げる試みはこれまでもあったのですが

複視が気になって、頭痛やめまいが起こるので

あえて、左目は見えないまま放置してきたのです。

 

それが、今回、両眼の視力を調整した遠近両用メガネと

乱視用コンタクトを新調して、生活してみると視界が広がり

目に映るものがクリアで、すっきり見えるようになったのです。

心配していた複視は気にならず安心しました。

 

眼科受診の記憶は、幼少期(3,4才の頃)にさかのぼります。

両親が「どうも左目が見えていないようだ」と気づいて

近所のH眼科に受診し、H先生の紹介で、二か所の大学病院へ行き

弱視の訓練をしたり、小学生以降は一人で眼科通院していました。

女性のH先生との思い出は、(先生の趣味が絵画を描くこと)

診察が終わったあと、私をモチーフにデッサンして下さったこともありました。

おそらく母が迎えに来る時間まで、

診察室でおしゃべりしながら時間を過ごした覚えがあります。

昭和ならではのほっこりした思い出でです。

 

左目の弱視が判明した頃、父が言った言葉が忘れられません。

「医学が進歩して、お父さんの目を移植できるのならしてあげたい」と。

その言葉が、妙にグロテスクに感じて「やだよ~」なんて

言っていましたが、親になってみて、私も同じ立場なら

きっと同じように言うでしょう。

そんな言葉(愛情)の記憶が、父の思い出とともに蘇ってきました。

 

2024/04/06

大事な大事な出来事

今年二回目の投稿

大事な出来事をまずは記すつもりが

すっかり忘れてました。。。

今年1月18日に、父が他界しました。

昨年暮れに、会った時は、老いていたものの

元気そうだったのに

年末年始は入院して、糖尿病の数値を良くしてから

年が明けたらデイサービスの回数を増やして・・・

なんて話していたものの、その入院期間中に

帰らぬ人となってしまいました。

昭和19年8月8日満州生まれの父でした。

葬儀が終わって

「そういえば今年8月は母の十三回忌・・・

 父さんの新盆と一緒にできるように

 きっと計らってくれたのかな」

だとしたら、ありがとう、お父さん。

 

足踏みしながらまずは一歩

桜が満開の今日が、

な、なんと今年初のブログ投稿とは驚きデス。

ブログをまめに更新していた頃は(記録するために)、

日常の何気ないことにもアンテナを張っていました。

それが、どういうわけか、できなくなってしまったのは

おそらく、うつ状態だったのだと今は思っています。

 

ここ最近は、少しずつ復活していることがあります。

*身体と動かすこと

 (『ザ・きんにくTV』で10種目10分トレーニング)

*ピアノを弾くこと

*読書

集中して一つのことに取り組むのが

億劫になっていた一つの原因・・・老眼!!

遠近両用メガネデビューしたおかげで本を読んだり

細々したことが億劫でなくなりました☆

 

愛犬たちも白内障の症状があらわれて

私の老化現象も受け入れることにしました。

ぼちぼち、やっていこう。うむ。

 

2023/03/11

遠ざけてきたこの日

2011年3月11日14:46

あの地震さえ、あの被害さえ起こらなければ・・・

と思いたくなくても

この日が近づくと

イヤでも考えてしまう事柄があります。

その一つは、やはり、母の死です。

母の故郷(岩手県山田町)が被害に遭って

中でも、山田在住の親友を亡くしたことを悔やんでばかりいました。

その数か月後、もう一人親しくしていた恩師が急死したこと

母はとても寂しがっていました。

そしてその翌年、二人を追うように逝ってしまいました。

 

東日本大震災に限らず、神戸淡路大震災にしても、様々な天災や人災

世界で起こっている紛争で、ある日突然多くの方が犠牲になってしまう。

その一人一人を失って、それぞれに悲しんでいる人々がいるわけで、

私は、たまたま、今のところ、それに遭遇せずに生きているに過ぎません。

理由もわからず、一瞬で命の灯が消されてしまう出来事が

これから、待っているかもしれません。

 

今日一日が尊いことを肝に銘じて

心から祈ります。

 

 

 

 

 

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